第九って何で大晦日?
2005年 10月 26日
大学の授業で、第九が何で大晦日なの?っていう素朴な疑問が沸いてきました。
調べたところ、
有力なものの一つとして、第二次世界大戦の出陣学徒壮行会がそのきっかけになったとの説があります。昭和18年(1943)10月21日、雨の神宮外苑で出陣学徒壮行会が行われ、学生たちはペンを銃に持ち替えて戦場に赴きました。そして、同じ年の12月に東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)で学徒壮行の音楽祭が開かれたといいます。その時に選ばれたのがベートーヴェンの第九交響曲の第四楽章でした。器楽科、声楽科両方の学生が演奏できるというのが選ばれた理由といいます。
もう一つ有力な説として、新交響楽団(現NHK交響楽団)が12月に定期演奏するようになったから、というのがあります。昭和12年(1937)にジョセフ・ローゼンストック氏が、新交響楽団の指揮者として着任しましたが、彼曰く「ドイツでは大晦日に第九を演奏する習慣がある」ということで、以来、新交響楽団によって12月に第九が演奏されるようになったといいます。でも、ドイツでは確かに年末に第九を演奏する管弦楽団はあるものの極めて珍しい存在だとのことです。
さらには面白い説として、暮れの餅代かせぎのために始まったというのがあります。昭和60年代頃までは、クラシック演奏会などには客が集まらず、交響楽団の団員は正月の餅代にも事欠く有様だったといいます。そこで考え出されたのが合唱団を含む多くの演奏者が参加できる第九の演奏で、それが多くの交響楽団の間に広がっていったというものです。
私が思うに、これらのものがいろいろ絡み合って年末に第九が演奏されるようになっていったのではないでしょうか。今や年末の風物詩ともいえる第九の演奏は今後も末永く続けられるのでしょう。
また、出陣学徒壮行会の話には続きがあります。戦争が終わり戦地に赴いた学徒たちが復員してきましたが、帰らぬ身となった学徒も多くいました。そこで、彼らのために追悼の意を込めて、思い出の壮行会で演奏した第九を昭和22年(1947)12月30日に日比谷公会堂で演奏したのです。第九は戦場に散った若き学徒へのレクイエム(鎮魂曲)として翌年も同じように演奏されたといいます。以前にこの欄で、日比谷公園が今年で開園100年になることを紹介しましたが、日比谷公園にはこんな悲しい歴史も刻み込まれていたのです。
ところで、日本での初の第九演奏は、大正7年(1918)6月1日に、徳島県板野郡坂東町檜(現在の鳴門市大麻町檜)の坂東俘虜(ばんどうふりょ)収容所で行われました。演奏したのは第一次世界大戦で中国・青島(チンタオ)で捕虜になったドイツ人たちだったそうです。
日本人による第九の初演奏は、大正13年(1924)11月29日に東京音楽学校の奏楽堂で、教授と学生の手で行われました。指揮者はドイツ人のグスタフ・クローン同学校教授で、この記念すべき演奏は、奇しくもウィーンでの初演からちょうど100年目のことでした。
注・ベートーベン
1770年ボン生ー1827年ヴィーン没。
調べたところ、
有力なものの一つとして、第二次世界大戦の出陣学徒壮行会がそのきっかけになったとの説があります。昭和18年(1943)10月21日、雨の神宮外苑で出陣学徒壮行会が行われ、学生たちはペンを銃に持ち替えて戦場に赴きました。そして、同じ年の12月に東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)で学徒壮行の音楽祭が開かれたといいます。その時に選ばれたのがベートーヴェンの第九交響曲の第四楽章でした。器楽科、声楽科両方の学生が演奏できるというのが選ばれた理由といいます。
もう一つ有力な説として、新交響楽団(現NHK交響楽団)が12月に定期演奏するようになったから、というのがあります。昭和12年(1937)にジョセフ・ローゼンストック氏が、新交響楽団の指揮者として着任しましたが、彼曰く「ドイツでは大晦日に第九を演奏する習慣がある」ということで、以来、新交響楽団によって12月に第九が演奏されるようになったといいます。でも、ドイツでは確かに年末に第九を演奏する管弦楽団はあるものの極めて珍しい存在だとのことです。
さらには面白い説として、暮れの餅代かせぎのために始まったというのがあります。昭和60年代頃までは、クラシック演奏会などには客が集まらず、交響楽団の団員は正月の餅代にも事欠く有様だったといいます。そこで考え出されたのが合唱団を含む多くの演奏者が参加できる第九の演奏で、それが多くの交響楽団の間に広がっていったというものです。
私が思うに、これらのものがいろいろ絡み合って年末に第九が演奏されるようになっていったのではないでしょうか。今や年末の風物詩ともいえる第九の演奏は今後も末永く続けられるのでしょう。
また、出陣学徒壮行会の話には続きがあります。戦争が終わり戦地に赴いた学徒たちが復員してきましたが、帰らぬ身となった学徒も多くいました。そこで、彼らのために追悼の意を込めて、思い出の壮行会で演奏した第九を昭和22年(1947)12月30日に日比谷公会堂で演奏したのです。第九は戦場に散った若き学徒へのレクイエム(鎮魂曲)として翌年も同じように演奏されたといいます。以前にこの欄で、日比谷公園が今年で開園100年になることを紹介しましたが、日比谷公園にはこんな悲しい歴史も刻み込まれていたのです。
ところで、日本での初の第九演奏は、大正7年(1918)6月1日に、徳島県板野郡坂東町檜(現在の鳴門市大麻町檜)の坂東俘虜(ばんどうふりょ)収容所で行われました。演奏したのは第一次世界大戦で中国・青島(チンタオ)で捕虜になったドイツ人たちだったそうです。
日本人による第九の初演奏は、大正13年(1924)11月29日に東京音楽学校の奏楽堂で、教授と学生の手で行われました。指揮者はドイツ人のグスタフ・クローン同学校教授で、この記念すべき演奏は、奇しくもウィーンでの初演からちょうど100年目のことでした。
注・ベートーベン
1770年ボン生ー1827年ヴィーン没。
by t-son1969
| 2005-10-26 12:39
| クラシック